世界遺産のVR動画~中国の万里の長城~


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世界遺産のVR動画をご紹介しています。今回は中国の世界遺産、万里の長城のVR動画をご紹介します。♥️
世界遺産VR動画

1.世界遺産VR動画~中国・万里の長城~

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世界遺産VR動画の説明

世界遺産の中国・万里の長城のVR動画です。

この動画は万里の長城を歩くのではなく航空機に乗って空の上から眺めた景色を映した動画になります。
この動画は万里の長城を見渡せるだけでなく鳥になって空を飛んでいる気分になれ気分転換にうってつけです。

2.世界遺産・中国の万里の長城について

万里の長城とは

万里の長城は、中華人民共和国に存在する城壁の遺跡であり、2007年に新・世界七不思議にも選ばれています。中国には他にも長く連なった城壁、いわゆる長城は存在するが、万里の長城が規模的にも歴史的にも圧倒的に巨大です。
紀元前220年、天下を統一した秦始皇帝が、より早い時代に造られていた軍事的防御施設を一つに繋げ、防御システムとしての長城を整備し、北方からの侵略に対抗したのが万里の長城の起源となります。明代に至るまで、その時々に応じて修築増築され続け現在の姿になりました。長城の文化芸術の価値はその歴史と戦略上の重要性にあり、河北、北京、内蒙古、山西、陜西、寧夏、甘粛にまたがる全長約8,851kmの世界で最も長い防御施設になり、外敵防御以外にも、通信と行商人の往来保護において重大な役割を果たていました。
土、れんが、石を主な建築材料とし、防御の主体である城壁は地形を利用して山と平原の険阻な場所に造られています。一定間隔ごとに情報伝達の為の烽火台が建てられ、昼間は煙をあげ、夜間は火を灯していました。また長城沿線の重要な駐屯拠点として、密閉性のある砦と城壁を備えた関所を形成した。現在観光地となっているのは関所を中心とした部分で、山海関、八達嶺、慕田峪、司馬台、嘉峪関などが有名です。そのうち八達嶺は明代に形成された代表的なもので、道が四方八方に通じる要衝の意味でその名がつけられた。最西端の嘉峪関は「天下の険しい関所」と称され、堅固な当時の姿を今に留めています。
 中国では古来より「長城に登らざるは好漢(おとこ)に非ず」という言葉があり、長城は中華民族の精神力のシンボルになっています。

(出展:中国国家観光局)
http://www.cnta-osaka.jp/heritage//great_wall_of_china?heritage=21:title

所在地

https://goo.gl/maps/BjosaQGyyyHZKafY8

万里の長城の名所

八達嶺長城

万里の長城のうちもっとも早く観光地として一般公開された場所で、現在の遺構は明代に建設されたものである。
北京郊外に位置し北京市内と直通する八達嶺高速道路が建設されるなどの高い利便性から、年間を通じて多くの観光客が訪問する。ただし冬季は北京市内より気温が下がり、春は黄砂現象が多く観測され、また7月頃には霧が発生することから温暖で晴天の多い秋季が最も混雑する。
この地区の長城は首都防衛を目的とし、また王朝の威厳を示す目的もあり特に堅牢な建築物となっている。一般に認識されている煉瓦で建築され所々に望楼がある万里の長城は、北京近郊の長城に特有の様式であると言える。当地を含めて観光客に一般公開されている地点は、ほとんどの場所で大規模な修復が実施され、谷の底にある入場口から両側の山に伸びる長城のいずれも途中まで公開されている。
観光用のロープウェイが両側の山の上まで設置されており、これを利用して山上口から入場する観光客も多い。日本の旅行会社やガイドブックは便宜的に北側の長城を「女坂」、南側を「男坂」と称し、現地日本語ガイドもその紹介を用いることがあるが、中国語では特に定まった呼称は使用されていない。勾配の急な北側に観光客が集中する傾向にあり、最高地点の「北八楼」は海抜1015メートルとなっている。
万里の長城

司馬台長城

北京の北東120 km にある密雲郡の北部に位置する中国の万里の長城の一部です。この辺りは元々、北斉時代に建設され、明王朝の洪武天皇の治世に再建されました。
司馬台長城は長さ5.4 kmで35の烽火台があります。万里の長城の専門家であるLuo Zhewen教授は、「万里の長城は中国の建物の中で最高であり、司馬台長城は万里の長城の最高である」と述べています。司馬台の万里の長城は谷によって東部と西部に分かれています。西部は緩やかに傾斜しており、壁に沿って点在する20個のよく保存された望楼が点在しています。東部は非常に険しく、崖の端や高さ数キロメートルの山頂を含むより険しい地形に続いています。
燕山山脈に不安定にぶら下がっている司馬台長城の長城は、その急勾配で知られています。
万里の長城

山海関老龍頭長城

山海関(さんかいかん)は、万里の長城の一部を構成する要塞で河北省秦皇島市山海関区に所在する。華北と東北の境界である、河北・遼寧省境が渤海に会する位置にある。2009年に中国政府が遼寧省虎山の虎山長城が長城の東端と訂正するまで、山海関から延びた城壁が海岸から突き出た「老龍頭」が長城の東端とされていた。「天下第一関」と称されている。

万里の長城

嘉峪関

嘉峪関は周囲733m、高さ11mの城壁に囲まれ、内域は33,500m以上である。黄土を版築でつき固めた城壁であり、西側は煉瓦を積み重ねて出来ている。東西にそれぞれ楼閣(門楼)と甕城を持つ城門を備え、東を光化門、西を柔遠門という。西門には「嘉峪関」の扁額がかかっている。関の南北は万里の長城とつながり、城壁の隅角部には櫓が設けられている。2つの門の北側には関の最上部に上ることが出来る通路がある。嘉峪関の防御設備は大別して内郭、外郭、堀の3つとなっている。
万里の長城につながる関の中で唯一建設当時のまま残される建造物である。最東端にある山海関が「天下第一関」と称されるのに対し、嘉峪関は「天下第一雄関」といわれている。東西シルクロードの要衝の一つであり、周囲には敦煌莫高窟のような著名な史跡が存在し、多数の漆喰壁画が見つかっている。また、ここから7.5km西に万里の長城の最西端があり、目の前は断崖絶壁となっており、眼下には討籟河(とうらいがわ)が流れている。

万里の長城

万里の長城の景色(中国国家観光局のサイトより)

万里の長城
万里の長城
万里の長城
万里の長城
万里の長城

万里の長城の歴史

出典:Air China
https://www.arachina.com/greatwall/history/:title

春秋時代万里の長城(紀元前770年~476年)

この時代に長城は初めて築かれたといわれ、その当時、現在の中国の東ないしは中央部の地域に支配国があったとされています。この地域を守るために城壁が築かれ、それが万里の長城のような造りのものでした。しかし規模は小さかったようです。最も早いものは紀元前650年頃に魯と斉国の間に造られました。そしてそれは後に楚国の一部になりました。

戦国時代の万里の長城 (紀元前475年~221年)

領土と権力のために争いを起こすとき、周の王の影響力が衰えていました。小さな国は戦国時代の初めまでに7つの大きな国(楚、斉、魏、燕、趙、秦、漢)を築くため統治者によって吸収されましたそれぞれの国は小さな長城のような自国の防護壁を作りました。秦、魏、燕、趙の城壁がこちらをごらんください。

秦の時代(紀元前221年~206年)

戦国時代の結果、秦が最強の国として他国を征服し、全土を統一しました。秦の始皇(秦の時代、紀元前247年~221年の王)は始皇帝になり、秦によって最も短い期間、支配されました。始皇帝は中国北部の長城建設に着手しました。特に北部は秦、趙、燕の国によって築かれ、北方モンゴルからの攻撃を防ぐため、一直線の壁が作られました。そしてそれが現在ある「万里の長城」です。100万人もの労働者と9年におよぶ歳月をかけ造られました。他の国の境界壁は統一した中国の中で廃れていき、のちには侵食、破壊されてしました。完成した時点のその全長は5000キロメートル、「1万里(1里約0.5km)の長さもある壁」として知られるようになりました。秦の時代の万里の長城は西は甘粛省から遼寧省遼東半島まで続いています。

漢の時代 (紀元前206年~西暦220年)

紀元前210年、秦の始皇帝の没後、秦の国はその権力がなくなり漢の時代になりました。そして漢の時代は中国の歴史上最も輝かしい時代でもあります。北の防御施設また城壁の周囲、数百キロメートルとモンゴルとの国境付近でも同様にさらに強化、延長されました。東側、北朝鮮ピョンヤン近くの沿岸から西は玉門関までの漢の時代の長城は長さ8000キロにもおよびます。全長は枝分かれした部分や自然の防壁、溝も含みます。

他の封建時代(220年~960年)

万里の長城の構築と修理は他の封建時代にも行われてきました。漢の時代以降の小さく弱かった王朝時代(北魏、北斉、東魏、北周)にも長城に多くが費やされました。北斉の時代(550年~577年) は短く、陝西省付近に北斉によって造られた重要な箇所が見られます。モンゴルからの攻撃を防ぐための二段階構造になっている「内側の城壁」といったものもあります。

隋の時代(581年~618年)

この時代には長城の延長修復が見られます。そして封建時代の絶頂来である唐の時代(618年~907年)へと続きます。すぐれた力と優越した北方遊牧民族に対抗するすべもなく長城には何も行われませんでした。

宋の時代(960年~1279年)

宋の時代は中国の経済と貿易の発展が行われたことでよく知られています。北部・北西地方で遼や西夏、金の侵略を防ぐための建設の歴史があります。しかし金や満州は長城のいたるところ手に入れ、金の時代(1115年~1234年)には中国北部を支配していました。金の時代の長城は広大なモンゴル帝国の侵略を防ぐことはできず、破滅し元の時代(1271年~1368年)が始まりました。元の時代は中国が漢民族ではなくモンゴル族に支配されていた最初の時代です。長城は1500年間にわたる漢民族の壮大なプロジェクトでした。長城の建設は宋時代には中断されました。

明の時代(1368年~1644年)

謀反のリーダー朱元璋(のちの元のリーダー)のもと、漢民族が再び支配し、元は崩壊しました。中国は明の時代に繁栄し、軍も増大しました。長城はさらに北方の敵から守るため、100年間の計画で再構築されました。修復された長城のほとんどは明の時代に築かれたものです。そしてそれは八達嶺や慕田峪など明の長城として知られています。

明の時代の後の歴史(1644年~現在まで)

現在、万里の長城は中国旅行には欠かせない観光スポットになっています。1644年に満州から必ず通らなくてはならない山海関は漢民族最後の王朝、清の時代(1644年~1911年)には長城のシンボルになりました。長城の最後の端として八達嶺からここまで中国政府によって修復され、1957年には観光地として公開されました。その頃より、修復、公開が続いています。

3.仮想現実VR動画を見る方法について

以下のページをご覧ください。
VR動画を見る方法

360度VR動画

本日は以上となります。これからも宜しくお願い致します。
宜しく

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